古き良き

いわき2011

2024年06月20日 19:54


連浮は諦めていたけど、土曜の着岸後に予報を確認したら、好転していた。
波がありそうで出艇地は限られそうだけど、カヤックは片付けないこととした。


★paddling'24-⑮★

☆6/9(日)
☆沿岸水温:6/10(月)19.5℃
 ※福島県HP小名浜の定地水温
☆EP.O
☆ウェアリング:ラッシュガード&ネックウォーマー


☆釣り竿
・Glissando66(TULALA)
・FeatherLight63(TULALA)
・復刻ロッド改(Garcia)



EP.南の海岸の予定だった。
コチング&エギングを楽しみにしていた。

だけど、現着したら駐車場に看板が。
どうやらビーチバレー?何かイベントのために貸し切りとの案内だった。

急ぎ出艇地変更を余儀なくされた。
波がありそうだから選択肢が限られる・・・
そこで思い付いたのがEP.O

ご無沙汰だ・・・
相変わらず港内は立ち入り禁止のため、港の外側に停めて港を横断して、隣の浜から出艇することになる。
手間ではあるけど、地元KF黎明期を彩った出艇地・・・当時の輝かしい記憶は今でも色褪せちゃいない。
だから、この出艇地を利用する時は心が躍る。

で、Instagramにも書いたのですが・・・












たまたま、車のキーを仕舞う防水バッグを新調したのです。
左のオレンジ、シアトルスポーツの方を使い続けて、11年が経ちました。
様々な思い出があります。
穴だらけボロボロになったので、右のモンベル製のを買いました。
前日の出艇から新品に切り替えてました。

11年か・・・
たくさんの思い出、ドラマ、トラブル、感動・・・いっぱい詰まってる。
そんなことを考えてたタイミングで、想定外にEP.Oから出艇することとなった。
何か神様の思し召しだろうか。



そして明るくなった浜から出艇

後ろからゴムボート2名も。



沖に向かうパドリング・・・思ってたより波が高い。
この出艇地は、出艇直後に根があって波が盛り上がる。
潮位や波によっては、白波が立つことも。

沖に行ってしまえば問題ないけど、戻って来た時に波が割れていたら着岸もままならない。
しかも、この日の潮周りだと出艇時をピークに潮位が下がり続ける。
今日の波だと、潮位が下がり過ぎたら波が割れるだろう。

タイムリミットを意識すべき。

でも、そんなこと考えてたら、呆気なく集中力は切れてしまった。
もう上がろう。
危険を冒してまで釣りを続ける必要は無い。

それで撤退パドリングを開始したら、小舟の漁師さん(3名ほど乗ってたかな?)が近付いて来てくれた。

漁『大丈夫か?』
僕『波が高いから終わろうと思います!』
漁『そうした方がいい!今日は海が悪い!引っ張って行こうか?!』
僕『大丈夫です!ありがとうございます!』

そうして、早々と着岸した。

本当は、このような波なら出艇する前に判断すべき。
だけど、出艇してみないと気付けないこともある。
出艇してから気付いたなら、それは仕方ない。
その時点で、気付いた時点で最良の判断をするしかない。

片付けをしていたら、軽トラが。
降りて来たのは、懐かしい顔・・・この出艇地を頻繁に利用していた頃に、いつも話し掛けてくれた漁師さんだ。
あの頃は沖でカヤックに横付けして話し掛けてくれたり、スロープで片付けしてたら釣果を聞いてくれたり。
ところどころ忠告とかアドバイスとか、とにかく地元の海について最も教えてくれた方かもしれない。

その方が・・・軽トラの荷台に漁具は積んで無いし、体も小さくなった気がする。
もう何年も過ぎてるからな・・・漁師は引退したのかもしれない。
そして、僕のことも覚えてないようだった。

ただ、あの頃のように『釣れたか?!』と話し掛けてくれて、僕が『波が高いから戻って来た。』ことを伝えたら『いい判断だ。』と褒めてくれた。
その言葉が、僕にはとても重く、大きく、響いた気がした。

また、この人に褒めてもらいたい。
いつまでも、この人に褒めてもらえるカヤッカーでいたい。

そんなことを感じた。



地元いわき市のカヤックフィッシング・・・日常的には、2013年に僕が始めたことがスタートだと思う。
まずは浜からだったのだけど、すぐに工事で立ち入れなくなった。
それで、2014年からEP.NとEP.O・・・2つの港を利用させて頂くことにした。
漁港のスロープから出艇するだなんて、他の地域では御法度の場合が多いだろう。
たまたま当時の福島県は、原発事故の影響で漁が本格的には再開できてなかった。
そのことは大きかったと思う。
だからこそ、漁師さん達に挨拶してスロープの利用についてお伺いを立てた僕に、みな優しかった。

そこから、コロナ禍を経て両EPが利用できなくなった。
だから今となっては浜からの出艇が主となってる。

その変化の過程で、この日まで気付かなかったけど・・・
漁港から出艇していた頃は、漁師さん達とのコミュニケーションが取れていたんだ。
浜から出艇するようになってからは、駐車場で僅かな釣り人と会話するくらい。
それが、漁港から出艇していた頃は、片付けの時に漁師さん達と会話ができていたんだった。

フラッグやレーダーディフレクターの有効性も、漁師さん達から聞かされていた。
危ないこと、やめて欲しいこと、何か気付きがある度に漁師さん達は忠告してくれて、それらに従えている限りは有益な情報も教えてくれた。
天候急変の時には、撤退パドリングに寄り添って自力で戻れるか気遣ってくれた。
潮の色、ポイント、釣りのヒントもたくさん教えてくれた。
僕らと漁師さん達は、友好な関係を築けていた。

あの頃に戻りたいけど、なかなか難しいのだろうな。

でも、EP.Oの、あのオッチャンとは、ゆっくり改めて話してみたい。
また、会えるといいな。






★打率★
2024総数:3.63






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