2022年07月21日
リモートKF談義がしたい。
何故か突然、、、思い出した。
2011,2012,2013年・・・カヤックを始めた頃のことを。
思い出したから書いてみようと思いま~す。
2011年に震災がありまして、特に海釣りには気持ちが向かない期間が続きました。
今やホームと呼ばせて頂いているEP.Nなんて、沖のテトラに自販機が引っ掛かっていました。
色々と失ったショックから、人間は自然と癒しを求めるもので、、、その頃にPCで読み漁っていた、とあるブログを思い出しました。
“ひるまのながれぼし”
当時はカヤックで日本一周をされていたと思います。
原発反対派の方のようで、時に過激に原発を批判していて、原発に勤務している僕としては心が痛んだのですが、それでも読んでしまう、、、それくらい惹きつけられる世界観があるブログでした。
恐らくカヤックフィッシングを知ってから検索して辿り着いたのかと思うので、読み始めた時期的には2012年の秋以降かとは思うのですが。
2012年の10月に、波打ち際でのナブラに遭遇して、55cmくらいのイナダを10匹くらい?釣ったことが、全ての始まりでした。
当時は原発事故の影響で漁が中断していた関係で魚が溢れており、翌週からも鳥山は頻繁に目にすることが出来て、どうしたら砂浜から数百mの鳥山に届かせることが出来るのか・・・
そう考えているうちに、書店で“カヤックフィッシング教書”を買ったのでした。
特に目を惹かれた記事は、ホエールさんとナカムラ軍曹のものでした。
更には、恐らくカヤックフィッシング教書を買った直後くらいに知ったのだと思うのですが、石垣島でカヤックからバショウカジキを釣った方の記事・・・これを読んで僕のスイッチは入ったと言うか、今でもかなり影響を受けていると思います。
タックルの選択とか、些細なことにも意味があって、それを突き詰めて、、、そうしないとメモリアルフィッシュには出会えない。
そう学ばせて頂いた記事でした。
そしてタイミング良くと言うか、、、2012年12月から半年の期限で、東京にある本社勤務の辞令が出たのです。
仕事はもちろん頑張りますけど、その半年のうちにカヤックデビューの準備をしようと考えました。
(東京勤務の期間中に住んでいた寮の自室で、2013年3月に前身ブログを書き始めたのでした。)
東京勤務の期間中に2回ほど、逗子シーカヤックスクールに通ってパドリングを学び・・・
当時は地元いわき市で、カヤッカーは僅かにいたとしても、シットオンに乗ってカヤックフィッシングとして楽しまれている方は皆無で、そもそもがカヤックフィッシングが適するとは思えない外洋で、、、スクールで色々と相談させて頂いたことが懐かしく思い出されます。
2013年6月1日付で地元に戻る辞令を頂いて、そのタイミングで旧艇ニモ2+1を手に入れました。
そして7月のKF初フィッシュ(ワラサ60cm)に至りました。
それからは、、、初フィッシュのS海岸が工事で出艇不可となり、当初は考えられなかった“港からの出艇”をすべくEP.N&Oの漁師さん達に挨拶して、、、新たに知り合ったF氏と開拓を進め・・・
watameba氏やカヤックフッカツ氏と知り合いセブンビーチを結成し、チョビー氏やAn氏と知り合いスライダーズを結成し、どむオ氏や老兵氏&大物鱸氏もスライダーズに加わり、、、今に至ります。
仲間との出会いによって、ここまで楽しい世界に入って来れた気がします。
コロナ禍もあり疎遠になりがちですが、、、今後とも貴重な仲間たちと楽しみたいと思います。
ふとした閃きとして、、、連絡が途切れているKF仲間と、リモート呑みの形でKF談義したいな、、、と。
その第一号として、、、パパモグラ氏が浮かびました。
このブログ読んで頂けてるかな、、、?
直接LINEしてみます(笑)
では、終わり。
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2011,2012,2013年・・・カヤックを始めた頃のことを。
思い出したから書いてみようと思いま~す。
2011年に震災がありまして、特に海釣りには気持ちが向かない期間が続きました。
今やホームと呼ばせて頂いているEP.Nなんて、沖のテトラに自販機が引っ掛かっていました。
色々と失ったショックから、人間は自然と癒しを求めるもので、、、その頃にPCで読み漁っていた、とあるブログを思い出しました。
“ひるまのながれぼし”
当時はカヤックで日本一周をされていたと思います。
原発反対派の方のようで、時に過激に原発を批判していて、原発に勤務している僕としては心が痛んだのですが、それでも読んでしまう、、、それくらい惹きつけられる世界観があるブログでした。
恐らくカヤックフィッシングを知ってから検索して辿り着いたのかと思うので、読み始めた時期的には2012年の秋以降かとは思うのですが。
2012年の10月に、波打ち際でのナブラに遭遇して、55cmくらいのイナダを10匹くらい?釣ったことが、全ての始まりでした。
当時は原発事故の影響で漁が中断していた関係で魚が溢れており、翌週からも鳥山は頻繁に目にすることが出来て、どうしたら砂浜から数百mの鳥山に届かせることが出来るのか・・・
そう考えているうちに、書店で“カヤックフィッシング教書”を買ったのでした。
特に目を惹かれた記事は、ホエールさんとナカムラ軍曹のものでした。
更には、恐らくカヤックフィッシング教書を買った直後くらいに知ったのだと思うのですが、石垣島でカヤックからバショウカジキを釣った方の記事・・・これを読んで僕のスイッチは入ったと言うか、今でもかなり影響を受けていると思います。
タックルの選択とか、些細なことにも意味があって、それを突き詰めて、、、そうしないとメモリアルフィッシュには出会えない。
そう学ばせて頂いた記事でした。
そしてタイミング良くと言うか、、、2012年12月から半年の期限で、東京にある本社勤務の辞令が出たのです。
仕事はもちろん頑張りますけど、その半年のうちにカヤックデビューの準備をしようと考えました。
(東京勤務の期間中に住んでいた寮の自室で、2013年3月に前身ブログを書き始めたのでした。)
東京勤務の期間中に2回ほど、逗子シーカヤックスクールに通ってパドリングを学び・・・
当時は地元いわき市で、カヤッカーは僅かにいたとしても、シットオンに乗ってカヤックフィッシングとして楽しまれている方は皆無で、そもそもがカヤックフィッシングが適するとは思えない外洋で、、、スクールで色々と相談させて頂いたことが懐かしく思い出されます。
2013年6月1日付で地元に戻る辞令を頂いて、そのタイミングで旧艇ニモ2+1を手に入れました。
そして7月のKF初フィッシュ(ワラサ60cm)に至りました。
それからは、、、初フィッシュのS海岸が工事で出艇不可となり、当初は考えられなかった“港からの出艇”をすべくEP.N&Oの漁師さん達に挨拶して、、、新たに知り合ったF氏と開拓を進め・・・
watameba氏やカヤックフッカツ氏と知り合いセブンビーチを結成し、チョビー氏やAn氏と知り合いスライダーズを結成し、どむオ氏や老兵氏&大物鱸氏もスライダーズに加わり、、、今に至ります。
仲間との出会いによって、ここまで楽しい世界に入って来れた気がします。
コロナ禍もあり疎遠になりがちですが、、、今後とも貴重な仲間たちと楽しみたいと思います。
ふとした閃きとして、、、連絡が途切れているKF仲間と、リモート呑みの形でKF談義したいな、、、と。
その第一号として、、、パパモグラ氏が浮かびました。
このブログ読んで頂けてるかな、、、?
直接LINEしてみます(笑)
では、終わり。
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Posted by いわき2011 at 11:40│Comments(0)
│釣り談義